2010-08-25

SARAN WRAP CITY GIRL

よほど遠い過去のこと、というには大げさすぎるけれど、それくらい記憶は曖昧で、 けれどいつからか当たり前のように東京で暮らしています。そしてその間に様々な出来事があり、どうやら根っこが生えてしまったようである。
なんだかんだ言って東京は破壊的かつきらめき含めた未知なる場所。
東京はある人によって「サランラップ・シティ」と名付けられていました。
全てが被膜に包まれてるような世界を表現するにはなんて相応しい言葉なんだろう、と。
わたしがその言葉を本で知ってから数年が経つけれど、 ますます無色透明のそれは気がつかないうちに勢力を増している気がしています。
けれど今更何かに包まれていないものを直に手に取ることは躊躇してしまうだろうし、 そもそものはじめから、記憶の限り、食品も生活用品も何もかもが透明のそれで覆われていた。
手触りのあるコミュニケーションはもちろん素敵なことだと思う反面、こんなにも便利な時代だからこそ 過ぎ去ったことを美化するより、今が楽しくなることを考えるほうが断然いい。





お世辞にも綺麗とは言い難い街並み、メッセージに溢れすぎている空間、歪み続けるあれこれ。そのことに今更がっかりなんて、しない。個人としてもっと楽しくなること、邪まな気持ちではなく、限りなく前向きな方法、それはあまりにも些細なことでもいい。
例えば、服を着ること。
自分が気持よく過ごすためのツールのひとつとして身体の表面を賑やかにしていく行為。 サランラップシティを軽やかに歩くための自分加工欲はとめどなく、それはいつしかエネルギーに変化してゆくわけで 時に振り回されたりしながらも留まらない、そのささやかで最大の楽しみはいつもそばに。
それから文字を綴ること。
赴くままに彷徨、あるいは、消えかけた軌跡を日々の溜息とともに。




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