2010-11-05

has been

今でこそ本についてが楽しくなりましたが実はごく最近の話で、本が好きな人というのは多感な頃にたくさん本を読んでいるのだろうけどわたしはそういう時期に全く読んでいませんでした。社会になんの疑問も反発も抱いていない全能感あふれる女子だったので太宰など読んでも何も響かず超くらーいと真剣に嫌がった、いい大人が何じめじめしてんのって。 記憶をさかのぼると小学生の時に少年探偵団にはまって図書館に通い詰めたことや新学年になって国語の教科書をもらった日に読破するのがお決まりだったし、読むことは好きだったような気がするけれど視力低下という事実、眼鏡への恐怖とともにいつのまにかぱったりと途切れ、いつのまにかハタチを越えた頃、レーシックの手術後、経過もよくノー眼鏡だと実に気持ちよく本が読めることに気がつき、そこから少しずつ本漁りが始まったわけでした、医療のミラクルありがとう。

気分で色々選べるようになったのは嬉しい進歩で、ああ今こういうのを求めてたとめくるたびに思えるのってすごく気持ちのいいこと、もしかしたらわたしのための本なのかも、と本気で思っちゃう時もあるし、それを今日きちんと選べた自分も誇らしく、あれこれの批評はつきものですが、誰が何と言おうと自分がいいと思った本はいいのだし、ただそれを誰かがやみくもに否定してるを聞いたら虚しくなってしまう、いいと思った自分ひっくるめて非難されてるみたいで悲しくなってしまうなってこと。





毎日に大きな夢や達成感がないなんて信じられないし、自分は何かをして役に立たなければ生きてる意味なんてないぐらいについこの間まで思っていたけれど、例えば読みたい本がたくさんあって、新刊も待ち遠しくて、些細な楽しみがつきなければいつもわくわくしていられるかもしれないな、と思いながらタイトルのハスビーンが妙に気になって読んだ「憂鬱なハスビーン」、ぎくりとする部分は多くまさに今読むべき本だったなと心から思い滑らかに読み終えたのですが、白い猫にシロと名付けられたことに今更憤慨していて、その次に読んだ本は黒い犬の名前がクロと名付けられたときは安直でつまらないと言っていたのにいつのまにか洗練された名前だ、なんて言っていた。そういえば拾ってきた犬に「絶対わたしの味方だから、名前は絶対」ていうのもあったなーと思い出して、ちょっと暴力的な気もしたけれど、わたしが名付けられるんだったら絶対がいいなーと思った。わたしは色が白いほうだから「東北出身なんでしょう」と言われることに飽き飽きしていて、しかも全然違います、けれどこれからも多分言われるのだろうし、クロもシロも見た目でつけられるかんじもなんかあれだし、かといって巻き舌必須なおしゃれなお菓子の名前とかつけるような飼い主にかわれたらまぎれもなく服を着せられるような気がして億劫で、そうなると「お前は絶対だ」と言い切る飼い主が一番好きになれそう、ただ日々を従順に、飼い主のことだけを考えていられる、それって実は一番いいと思う、わたしは。

ハードカバーを買うといまだに贅沢な気持ちになるけれど、きれいに置いておきたい気持ちから丁寧に扱ってしまうので手に馴染むという点ではよそ者感が消えない、けれどドッグイアしたいので好きな本の文庫は必ず買って好きなページはどんどん折る、我が家のドッグイアされている率はやっぱりどうしても江國香織さんで、その次は太宰さんのなのです、ぷ。 超くらーいと揶揄していた人に今や救われちゃったり憧れたりするなんて人なんてわからないものだなーとか他人事のように言いつつ、次に自分がどう変化していくのか、実は自分が一番楽しみだったりする今日この頃。

ちなみにハスビーンとは一発屋、もう終わってしまったヤツ、現在完了形のhas beenのこと。



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