2010-12-29

South of the Border, West of the Sun

せまりくるは年の瀬、師走はやはりあまりにも早すぎる速度で過ぎ明日は実家に帰る切符に記されている日付、また12から1への回帰を生まれ育った場所で迎えようとしています。 上京するといつ決めたのは定かではないけれど当たり前のように東京で生活をするんだと何の根拠もなく信じていたほどにそれは必然で、新幹線で約一時間半の距離は日帰りさえできるほどなのに、ここ数年の帰省は年末年始だけとなってしまい実家から東京に戻るとなんだかひどく落ち着くほど今の環境が気に入っているのです。

それでも鍵盤に触ることが目下の楽しみでありなんだかんだ満喫はしてくるような気もするのですが、毎朝ひどく憂鬱に倒れるように降りていた階段、掃除機をぶつけてかけてしまったピアノの脚部分、身長のメモリ、楽しいことも悲しいことも様々な気持ちをかかえて歩いた通学路、懐かしいと思う気持ちもそこそこに記憶は断片的なので本当にこの家で18年間も過ごしたのかさえもあやふやになって自分だけが取り残されたような感覚。





「子供の頃、僕はこの一人っ子という言葉がいやでたまらなかった。その言葉を耳にするたびに、自分には何かが欠けているのだということをあらためて思い知らされることになった。その言葉はいつも僕に向かってまっすぐに指をつきつけていた。お前は不完全なのだぞ、と。」

ひとりっ子という言葉を口にするたびに、「国境の南、太陽の西」の最初の冒頭部分を思い出すのだけれど、わたしは子供の頃よりも今の方が嫌だなあと思ってしまいます。 何気なくひとりっ子ぽいねと言われると相手はそんなつもりなくても欠落しているねと笑顔で詰られているような気分になり、兄弟がいないだけでひどく特殊な存在であるかのようなこの言葉とはこれからもずっと付き合っていかないといけないわけで、けれどひとりで過ごすことは慣れているし幼い頃からそれが日常だったので出来れば群れないほうが楽だけどそうも言ってられない日々の中、大勢に囲まれるとどんなに楽しくてもなぜか自分ひとりだけフィルターにかかったようにふわんと浮いてしまうのが常、馴染まないねと言われることも多いのが特徴です。

何かするときにはいつも必死で限りなく100%なのにどこか客観的な自分がいて、楽しいことも悲しいことも何か本を読んでいるかのようなこの心理的現象、だから過去の記憶もひどくぼんやりとしてしまうし、大勢に囲まれていてもなんで自分だけここにいるのにここにいないんだろうとひたすら思い悩んだ時期もそういえばあったような気がしますが、もはやそれも曖昧模糊。 いつかはそんな劣等感が拭えるときが来るのかなあとたまに思ったりもするけれど、完全なものが全て美しいとは限らないし、欠けてるからこそ沁みてくるものだってあると、そんなふうに前向きに考えられるようになったのはつい最近のこと。

贅沢と言われようとも帰省するときはいつも必ず指定席、弱虫だから実家に帰るための自分が座っていい席がないとひどく不安なのです。

山に囲まれたあの街は冷たい風が全身をくまなく刺してくるだろうから、いつもにましてたっぷりと着こんで隙間なく。



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