2013-03-11

for you

辛いと感じた時にすぐ泣き叫べた記憶なんてもう遥か彼方で、数え年でいえばすっかり大人というカテゴリに入ってしまっているためにどうしたって堪えてしまうのが日常、他人を責めるより自分を否定したほうが簡単で、平然とした面を下げていることで耐性がついたような気がしていても、いつのまにか見えないところが少しずつ蝕まれているのです。それは音もなく、色もなく、痛みさえもなく。





神様は気まぐれだし、けれど神様の存在を否定することなんか到底出来ないくせに疑ってみたりして、それでいて今日もどこかで神様が見ていてくれるのだと信じていたい。 結論には理由があって、たんなる偶然なんか期待していたら一生なんて一瞬で終わってしまうから。 世界は理不尽すぎることばかりで、平等なんて言葉、薄っぺらくていやんなっちゃう。生きている限り、何もかも平等なんかじゃないのだ。 唯一、わたしたちは必ず命が絶えるという運命を持ってこの世に産み落とされたということ。 そして今日眠りについて目が覚めた時には、一歩その運命の日へと近づいている紛れも無い事実、これだけは全ての人に共通することだと思うのです。

「どんな事柄も、週末の側から眺めれば、許しうるものになる。」(金閣寺/三島由紀夫)

不用意に混乱した時、わたしはこの文章を唱えます。 どんな時だって最中は視野が狭くなってしまうけれど、いつか微笑むことだって出来るかもしれない。 他人を許し、自分を解放することで、想いはきっと強くなる。 誰しもが命絶える時、哀しみではなく、色鮮やかな景色を心に思い描けますようにと祈りながら。

どうぞ、優しい夜を。