2013-12-17

reborn

当り障りのない言葉で日常をつなげていても何も楽しくない。 深く感じ吸収する行為を手放したら、そこには平穏が待っているのだろうか。つまらないことが多すぎる。だからといって柳に風と受け流せない自分が突如として翻り、己を攻撃してくる。 太陽を浴びながら洗濯物を干し掃除機をかける平日の午前中、漂白剤が指紋を溶かし、安全が罪悪感を膨張させていく。緩やかに流れる時間と刺激が顔を出さない世界で膨らんだタオルを畳みながら、わたしはこれから自殺する主婦のような気持ちになった。性に合わないのだ。 持て余している空白が焦燥感となって戻ってくる。熱を帯びていく。逃がす場所がないから共存することを強いられている。 庇護と安寧を与えてくれるはずの繭が、掴もうとすると嘲笑うように消える。手の鳴るほうへ、鬼は誰だ。

歳を重ねるだびに層を重ねていく、悲しみや驚きの前に用意されている「なんてことない」という一時的な感情について。 突如としてやってくる負の要素の直撃を避けるため、その「なんてことない」は器用に反応する。 そして自然と萎む。 おかげで正しい感情が確立するまでに時間がかかる。 瞬時に泣いたり叫んだりなんかもはや贅沢な行為である。 美しい記憶はたちまち幻影となる。鮮明な記憶でさえも、自分が作り出した空想なのかもしれないと不安にさせる。歓喜を反芻することで生まれる新しい恐怖についてもっと議論しよう。

人混みから漂う排水口のような匂い、モラルを逸脱した行為、平凡で幸福な厚顔無恥、留まることを知らない夥しい数の嘘。 ぬるま湯の中から発生する薄甘い苦しみに絶望なんていう言葉を添えてはいけない。 処方箋なんてただの紙切れである。

アスファルトの上で重なり合っている銀杏の葉をめがけて足を下ろす。 顔を埋められたら黄色い絨毯などと迂闊に言えないほどの腐敗が進む落ち葉、立ち込める特有の匂いとカサついた音が不快で、靴裏から伝わる踏みつける感触は、けれど心地良いのだった。 青さの残る空に浮かぶ三日月、キラキラと光りを纏い滑り降りる葉、正しい赤味を帯びて沈んでいく夕陽。 ありふれた風景に立ち止まってなんかいたくない。 ソプラノの日々に警報が鳴り響く。 うんと遠くから。